2008年04月08日

お釈迦さまの誕生日(平成20年)

お釈迦様の誕生日というのに、私は報恩坐禅するつもりが、朝寝坊してしまった。

きょうは、、夜坐一柱を予定しておこう。

枕の話題をもうひとつ。

きのう正法眼蔵「洗浄」巻を読み終えた。

読んだことのない方のためにちょっとだけ書いておくと、この洗浄は、肛門を洗うことをさしている。

要するに、この巻はトイレの使い方から、トイレを立てる方角まで、事細かに仏法と照らし合わせて道元さんが書かれたものである。

うん?ちょっと違う。

トイレを使う、そのこと自体が仏法だと、まとめられている。

戦後、一般家庭においては、大便のあとはチリ紙でお尻を拭くというのが主流で、水を使って洗うということは、むしろ特殊だったという認識である。

我々が当たり前にお尻を、水を用いて洗うようになったのは、TOTOがウォシュレットを世に送り出してからではないだろうか。

ところが、鎌倉時代にあって、道元さんは

「大便のあと、お尻を水で洗浄しないものは、三宝に礼拝することはならん」

と、しているので、その先進的な考え方がうかがえる。

ウォシュレットの登場は、道元さんもにこやかにご覧になっているのではないかと思う。

更に話題は替わって「大法輪」四月号。

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もうまもなく5月号が発売されるので、あわてて読んでいる。

あっ、そうそう。

この雑誌で「やさしく読む宝鏡三昧」という連載が始まっているが、これはかつて見た解説文の中で、もっとも分かりやすい。

「宝鏡三昧」は、さっぱり意味が分からん、と、こぼしていた売れない作曲家にも、バックナンバーをコピーして勧めておいた。

そしてもうひとつ、「唯識入門」という連載も始まった。

このシリーズも、アタマの悪い人向けに書かれているので、私などにはうってつけである。

きょうはこの「唯識入門」から、お釈迦さまの誕生日にアプローチしたい。

有名なお話として、

生まれたときに、「天上天下唯我独尊」と言われたとされている。

私は得度した際、師匠から絡子(らくす)を頂いたのであるが、その裏書には「只一人」と墨書されていた。

この「只一人」はまさに「天上天下唯我独尊」と同じことだろうと、今は理解している。

私が私の宇宙を只一人生きている。

文字面だけ見ると、なんだか横柄な感じがしないでもない。

「唯識入門」を見ると、「宇宙」と「自分」の関係が、こんな風に解説されている。

庭を見たときに、木がある。

しかしそれは、「それは木だ」という言葉にして、初めて「木」として認識されるものである。

したがって、「外界」には、木という実体があるわけではなく、ただ心があるばかり、ということになる。

さらに突き詰めてみれば、「私」というものは一人一宇宙の中に閉じ込められている。


と、いった内容である。

なるほど・・・。

【一人一宇宙を生きる】

これは坐禅も同じかもしれない、などと思った。

自分の生きる世界は只ひとつ。

そこを自分ひとりだけ、生きることが可能になっている。

一人ひとりに【宇宙=修行の場】が与えられているという事実。

そこをどう修行するかが、いまここで問われている。

南無釈迦牟尼仏。

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zuirushinzan at 09:32 │Comments(0)TrackBack(0)clip!仏教 

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