2009年07月06日
嗚呼、楽しきネットショッピング
いうまでもなく、インターネットでは、いろいろなものが買える。
ちなみに、私がインターネットで一番多く買っているのは、新幹線のチケット。
出張用にJR東海のエキスプレスカード会員専用予約サイトで、座席の位置まで指定したピンポイント購入である。
そのほかだと、最近では、改良衣を買った。
あとは、アマゾンで本もよく買う。
そもそも「買い物」というものが、大嫌いで、めったに衣類などを買う人間ではなかったのだが・・・
ネットだとついつい買っちゃう。
これ、どういうことかというと、たぶん私は「買い物」が嫌いなのではなくて、人ごみに出て行くのがキライなのだろう。
しかも店員さんに「あれください、このズボンのすそを○○してください」
と、お願いしなければならないのいが、億劫でたまらないのだ。
ところが、ネットだとその手間がない。
それで、つい先日も禅をテーマにしたデザインのTシャツ販売サイトを紹介してもらったので、ついつい買ってしまった。
で、届いた・・・
まずは、お釈迦さまの涅槃会をテーマにしたもの。

降誕会、成道会をテーマにしたものもあったのだが、私はなぜか、死に際に心がひかれた。

確かに、2月15日である。
それから・・・これはもう有名な禅の言葉であるから、説明の必要もなかろう。

「悟り」がある場所のことである。

ところで、「脚下照顧」あるいは、その逆で「照顧脚下」などといわれるが、臨済宗のお寺だと、「看脚下」などというのも良く見る。
まあ、どっちにしても、足元を見れば、「そこ」が「悟り」のある場所に違いない。
さて、ネットショッピングといえば、前から欲しいものがある。
それは、『正法眼蔵全講 全24巻』である。
しばらくその物欲から離れていたのだが・・・
先日、ぶぶ鳥のオッサンがこんな記事を書いたものだから・・・
またしてもついつい欲しくなってしまった。
ちなみに私のフトコロ事情と言えば、である。
先日も書いたように、夏用の改良衣は、無事返品できたので、2万8000円が浮き、白衣も予定より6000円ほど安く上がっている。
3万円ちょっとの余裕がないではない。
それで・・・
この古書サイトの中から・・・
2万8000円という全巻揃いを発見。
しかも、このお店が名古屋市内であるので、実際に店舗に行って、モノを見てから購入が可能である。
さっそく、電話で問い合わせて・・・
明日の仕事が終わったあと見に行ってやるから、丁寧にキレイにしておけ。
その掃除の一生懸命さによっては、それを全巻揃いで買ってやろうじゃないか!
そんな風に言ってやると、若っちょろめな店員が、
「へへー」
という。
なんだか、偉そうな取り置きをしてしまった・・・。
やっぱり買っちゃうんだろうなぁ、俺ってば。
↓クリックのご協力をお願いします!!

ちなみに、私がインターネットで一番多く買っているのは、新幹線のチケット。
出張用にJR東海のエキスプレスカード会員専用予約サイトで、座席の位置まで指定したピンポイント購入である。
そのほかだと、最近では、改良衣を買った。
あとは、アマゾンで本もよく買う。
そもそも「買い物」というものが、大嫌いで、めったに衣類などを買う人間ではなかったのだが・・・
ネットだとついつい買っちゃう。
これ、どういうことかというと、たぶん私は「買い物」が嫌いなのではなくて、人ごみに出て行くのがキライなのだろう。
しかも店員さんに「あれください、このズボンのすそを○○してください」
と、お願いしなければならないのいが、億劫でたまらないのだ。
ところが、ネットだとその手間がない。
それで、つい先日も禅をテーマにしたデザインのTシャツ販売サイトを紹介してもらったので、ついつい買ってしまった。
で、届いた・・・
まずは、お釈迦さまの涅槃会をテーマにしたもの。

降誕会、成道会をテーマにしたものもあったのだが、私はなぜか、死に際に心がひかれた。

確かに、2月15日である。
それから・・・これはもう有名な禅の言葉であるから、説明の必要もなかろう。

「悟り」がある場所のことである。

ところで、「脚下照顧」あるいは、その逆で「照顧脚下」などといわれるが、臨済宗のお寺だと、「看脚下」などというのも良く見る。
まあ、どっちにしても、足元を見れば、「そこ」が「悟り」のある場所に違いない。
さて、ネットショッピングといえば、前から欲しいものがある。
それは、『正法眼蔵全講 全24巻』である。
しばらくその物欲から離れていたのだが・・・
先日、ぶぶ鳥のオッサンがこんな記事を書いたものだから・・・
またしてもついつい欲しくなってしまった。
ちなみに私のフトコロ事情と言えば、である。
先日も書いたように、夏用の改良衣は、無事返品できたので、2万8000円が浮き、白衣も予定より6000円ほど安く上がっている。
3万円ちょっとの余裕がないではない。
それで・・・
この古書サイトの中から・・・
2万8000円という全巻揃いを発見。
しかも、このお店が名古屋市内であるので、実際に店舗に行って、モノを見てから購入が可能である。
さっそく、電話で問い合わせて・・・
明日の仕事が終わったあと見に行ってやるから、丁寧にキレイにしておけ。
その掃除の一生懸命さによっては、それを全巻揃いで買ってやろうじゃないか!
そんな風に言ってやると、若っちょろめな店員が、
「へへー」
という。
なんだか、偉そうな取り置きをしてしまった・・・。
やっぱり買っちゃうんだろうなぁ、俺ってば。
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2009年07月05日
きょうは、お約束の日ですよ
真夜中に、私の寝ている坐禅部屋のひき戸が、ガラガラっと開いた。
だ、誰だっ!?
そこに立っていたのは、他でもない、あの作曲家・行雲真歩40歳である。
いったい、何が起きているのか、全く理解出来ないでいると…
「馬鹿、真山はやく起きろ!覚王山に行くのではないのか!」
そ、そうだった…。
きょうの夕方から名古屋のライブハウスで演奏会を開くことになっている真歩は、昨夜から我が家に泊まっていたのである。
朝3時すぎに起きて、覚王山日泰寺の暁天坐禅に参じる予定が、真歩に起こされ
たのは、3時35分。
10分程度で洗面と着替えをすまてせ、いざ、覚王山へ。
あぶないところである。真歩がいなければ…と思うと、冷や汗がでた。
さすがに午前4時前だと、名古屋のメインストリート『広小路通り』も、ガラ空き。
車はすいすい進み、予定よりも15分以上も早くついた。
ただ、振鈴が4時半だときいていたので、それよりも早く入っていくのはルール違反だと思い、振鈴に合わせるカタチで、敷地に足を踏み入れた。

さて、私と真歩は、先日の親切な役寮さんに案内されて、外単へ上がり、坐禅一柱。
そのあと、本堂に移って、朝課。
さて、帰ろうかというところだが、その役寮さんが引き止めて下さった。
「よろしければ、粥(しゅく)もどうですか」
私は「そんなありがたいことはありません、是非にお願いします」と申し上げた。
で、控え室でまっていると、粥の用意ができたと雲水さんが案内に来てくださった・・・。
私は飯台場で略式の粥座をすませるのだと思っていたら・・・
応量器を渡され・・・・
向かっていく先は、そ、僧堂・・・
うわー、浄縁でいただくのかっ・・・!!
その通りであった。
にわかに緊張が。
心の準備など、まるで出来ていないのだが・・・
ぶーっしょう〜かびら〜 じょーどうーまかだー
は、はじまちゃったよ、僧堂飯台。
で、略式の応量器を開いてみると・・・
略式応量器というのは、あくまで略式。
どの部分を省略するのかは、その僧堂の個性である。
可睡斎では、おわんが三つに、箸袋には、お箸と匙。そしてひざ掛けはなくて、袱紗とふきんという、もっとも略した形式のものであった。
いっぽう、寶慶寺では、この可睡斎式に、さらにひざ掛けと、刷(せつ)がついたものであった。
で、日泰寺式はというと・・・
おわんが5つもある・・・。
おいおい、この小さな二つ、どうするんだよ・・・。
しかも、いままでであったことの無かった、あの黒い厚紙くんが、今回の略応量器には、入っていたのだ!
あれ、何っていうのだろう。
四角く折りたたんである、黒い厚紙の台。
初めて使うことになった。
まあ、敷いてしまえば、そこまでなのだと思いきや・・・
食べたあとに、ふき取りのお作法などが、細かく決められており、なかなか難しかった。
真歩も私も、雲水さんに手取り足取り教わりながら、あうあう、きょろきょろしながら、ド緊張の粥座が終了。
真歩は、アウアウしながらも、たっぷりと再進していた。
さて、日泰寺の暁天坐禅は、やはり前もってご連絡をさしあげたうえで、許可をもらって参じることとなった。
ちなみに、来週の日曜日はもうすでに、参じることをお伝えして許可済みである。
そしてさらに、19日の日曜日は・・・
その前日(18日)が、密教寺院での夜坐と護摩祈祷の会なので、そのまま仏事つながりで、暁天坐禅まで、がんばろうと思っていたのだが・・・
いまさらだが、19日といえば・・・「九」のつく日である。
「四九日(しくにち)は放参日で、坐禅はありません」
ということで、この日は私も放参日ということになった。
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だ、誰だっ!?
そこに立っていたのは、他でもない、あの作曲家・行雲真歩40歳である。
いったい、何が起きているのか、全く理解出来ないでいると…
「馬鹿、真山はやく起きろ!覚王山に行くのではないのか!」
そ、そうだった…。
きょうの夕方から名古屋のライブハウスで演奏会を開くことになっている真歩は、昨夜から我が家に泊まっていたのである。
朝3時すぎに起きて、覚王山日泰寺の暁天坐禅に参じる予定が、真歩に起こされ
たのは、3時35分。
10分程度で洗面と着替えをすまてせ、いざ、覚王山へ。
あぶないところである。真歩がいなければ…と思うと、冷や汗がでた。
さすがに午前4時前だと、名古屋のメインストリート『広小路通り』も、ガラ空き。
車はすいすい進み、予定よりも15分以上も早くついた。
ただ、振鈴が4時半だときいていたので、それよりも早く入っていくのはルール違反だと思い、振鈴に合わせるカタチで、敷地に足を踏み入れた。

さて、私と真歩は、先日の親切な役寮さんに案内されて、外単へ上がり、坐禅一柱。
そのあと、本堂に移って、朝課。
さて、帰ろうかというところだが、その役寮さんが引き止めて下さった。
「よろしければ、粥(しゅく)もどうですか」
私は「そんなありがたいことはありません、是非にお願いします」と申し上げた。
で、控え室でまっていると、粥の用意ができたと雲水さんが案内に来てくださった・・・。
私は飯台場で略式の粥座をすませるのだと思っていたら・・・
応量器を渡され・・・・
向かっていく先は、そ、僧堂・・・
うわー、浄縁でいただくのかっ・・・!!
その通りであった。
にわかに緊張が。
心の準備など、まるで出来ていないのだが・・・
ぶーっしょう〜かびら〜 じょーどうーまかだー
は、はじまちゃったよ、僧堂飯台。
で、略式の応量器を開いてみると・・・
略式応量器というのは、あくまで略式。
どの部分を省略するのかは、その僧堂の個性である。
可睡斎では、おわんが三つに、箸袋には、お箸と匙。そしてひざ掛けはなくて、袱紗とふきんという、もっとも略した形式のものであった。
いっぽう、寶慶寺では、この可睡斎式に、さらにひざ掛けと、刷(せつ)がついたものであった。
で、日泰寺式はというと・・・
おわんが5つもある・・・。
おいおい、この小さな二つ、どうするんだよ・・・。
しかも、いままでであったことの無かった、あの黒い厚紙くんが、今回の略応量器には、入っていたのだ!
あれ、何っていうのだろう。
四角く折りたたんである、黒い厚紙の台。
初めて使うことになった。
まあ、敷いてしまえば、そこまでなのだと思いきや・・・
食べたあとに、ふき取りのお作法などが、細かく決められており、なかなか難しかった。
真歩も私も、雲水さんに手取り足取り教わりながら、あうあう、きょろきょろしながら、ド緊張の粥座が終了。
真歩は、アウアウしながらも、たっぷりと再進していた。
さて、日泰寺の暁天坐禅は、やはり前もってご連絡をさしあげたうえで、許可をもらって参じることとなった。
ちなみに、来週の日曜日はもうすでに、参じることをお伝えして許可済みである。
そしてさらに、19日の日曜日は・・・
その前日(18日)が、密教寺院での夜坐と護摩祈祷の会なので、そのまま仏事つながりで、暁天坐禅まで、がんばろうと思っていたのだが・・・
いまさらだが、19日といえば・・・「九」のつく日である。
「四九日(しくにち)は放参日で、坐禅はありません」
ということで、この日は私も放参日ということになった。
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2009年07月04日
梅雨の晴れ間のお掃除
きょうは名古屋は朝からいい天気である。
ちょっと寝坊してしまったので、今朝は7:00から40分一柱坐った。
窓をあけると空気が気持ちいいので、久しぶりに、坐禅部屋の大掃除。
部屋のすみずみに掃除機をかけ・・・
と、いっても三畳しかないからアッという間だけど。
雑巾を硬く絞って、仏壇をキレイに水拭きした。
掃除をすると、ふと気付くことがあった。
そもそもこの家を建てるときには・・・
「この私の坐禅部屋は、その名の通り、坐禅をするためのものであるから、ご本尊さま、聖僧さま、仏教書のほかは、何も置くまい」
と、心に決めたはずだった。
しかし、人間は生きていると、不思議にものが増える。
本当に不思議である。
しかも、不思議と捨てられないものが多いのである。
真山斎にある捨てられないもの、まずは、これ。

「喜心 大心 老心」
どなたの筆によるものかといえば・・・

印刷物を額に入れたものに過ぎない、といってしまえばそこまでだが、私には、たやすく捨てられるシロモノではない。
それから・・・

これは、可睡斎で得度式をあげていただいているときの私とお師匠さま。
頭の上の絡子は、お師匠さまのお母上が、手で縫ってくださったものである。
さらに棚を整理していると、寶慶寺さんで授かったお札がでてきた。
それで、貼った。



あとから見たカミさんは、
「なんで真夏に、立春なの?」
むむむ・・・
今まで貼っていなかっただけである。
そして、今回は掃除をしたあと・・・

磬子(けいす)と木魚の鳴らしものに、布をかけることにした。

う〜む、我ながら、なかなかよい。
これは、もちろん鳴らしものをホコリから守るためもあるが、一番の理由は・・・
鬼のような二歳児・谿声の目に、鳴らしものが直接写らなければ、イタズラは治まるであろうという、オトナのこざかしい作戦である。
ちなみに、磬子にかけた青ネズミ色の布は、先日つくった応量器の袱紗の余り布であり、木魚の方は・・・

出家の兄弟子、大心和尚が開いている坐禅堂「大心堂」からの頂き物である。
やれやれ、掃除も終わったし、これから休日出勤して、打合せと残務整理をするか・・・
と思っていたら、どこからか木魚をたたく音がする!
まさか・・・!?
あっ!!

谿声には、大心堂のありがたい手ぬぐいも、おカマイ無しである。
大心和尚なんて、知らないもんねー。
とでも言いたげ。
さらに、ヤツは・・・

むむむ・・・!!
谿声!!お前というやつは!

「あー」
そうだよなぁ、「あー」だよなぁ・・・。
さて、片付けるとするか。
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ちょっと寝坊してしまったので、今朝は7:00から40分一柱坐った。
窓をあけると空気が気持ちいいので、久しぶりに、坐禅部屋の大掃除。
部屋のすみずみに掃除機をかけ・・・
と、いっても三畳しかないからアッという間だけど。
雑巾を硬く絞って、仏壇をキレイに水拭きした。
掃除をすると、ふと気付くことがあった。
そもそもこの家を建てるときには・・・
「この私の坐禅部屋は、その名の通り、坐禅をするためのものであるから、ご本尊さま、聖僧さま、仏教書のほかは、何も置くまい」
と、心に決めたはずだった。
しかし、人間は生きていると、不思議にものが増える。
本当に不思議である。
しかも、不思議と捨てられないものが多いのである。
真山斎にある捨てられないもの、まずは、これ。

「喜心 大心 老心」
どなたの筆によるものかといえば・・・

印刷物を額に入れたものに過ぎない、といってしまえばそこまでだが、私には、たやすく捨てられるシロモノではない。
それから・・・

これは、可睡斎で得度式をあげていただいているときの私とお師匠さま。
頭の上の絡子は、お師匠さまのお母上が、手で縫ってくださったものである。
さらに棚を整理していると、寶慶寺さんで授かったお札がでてきた。
それで、貼った。



あとから見たカミさんは、
「なんで真夏に、立春なの?」
むむむ・・・
今まで貼っていなかっただけである。
そして、今回は掃除をしたあと・・・

磬子(けいす)と木魚の鳴らしものに、布をかけることにした。

う〜む、我ながら、なかなかよい。
これは、もちろん鳴らしものをホコリから守るためもあるが、一番の理由は・・・
鬼のような二歳児・谿声の目に、鳴らしものが直接写らなければ、イタズラは治まるであろうという、オトナのこざかしい作戦である。
ちなみに、磬子にかけた青ネズミ色の布は、先日つくった応量器の袱紗の余り布であり、木魚の方は・・・

出家の兄弟子、大心和尚が開いている坐禅堂「大心堂」からの頂き物である。
やれやれ、掃除も終わったし、これから休日出勤して、打合せと残務整理をするか・・・
と思っていたら、どこからか木魚をたたく音がする!
まさか・・・!?
あっ!!

谿声には、大心堂のありがたい手ぬぐいも、おカマイ無しである。
大心和尚なんて、知らないもんねー。
とでも言いたげ。
さらに、ヤツは・・・

むむむ・・・!!
谿声!!お前というやつは!

「あー」
そうだよなぁ、「あー」だよなぁ・・・。
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2009年07月03日
ヒザが痛いっ!!
まず最初に、私が欲しい草履の話だが・・・
曹洞宗の僧堂だと、だいたいどこの雲水さんもご愛用している、草履である。
そんな珍しいものでもないと思うのだが・・・
念のため、イメージのすり合わせができるように、イラストを描いてみた。

これが、ウォンテッドである。
ちなみに、きのうの夜は、法衣屋さんとか、仏具店のHPを探すのはやめて、業務用の草履やサンダルを扱うスリッパ業者のサイトを見回したが、やっぱり見つからなかった・・・。
それと、いつぞや名古屋市内にある、ある曹洞宗のお寺の住職さんが
「私はここで法衣や作務衣を買っている」
と言っていた法具店を思い出して、電話もしてみたのだが・・・
「ウチでは取り扱ってませんね・・・」
むむむ・・・
どこに売ってるんだろう???
引き続き、情報求む。
さて、きょうの本題。
きょうの本題は、生老病死「梅雨編」(その2)のような内容である。
梅雨どきというのは、湿気や気圧の変化で、身体のあちこちに異常をきたす人が多い。
私の場合は気圧の激しい変化で、自律神経系がまいってしまい、アタマがふわふわしたり、吐き気がしたり、睡眠のリズムが狂ったり、鈍い頭痛に悩まされたり・・・
あらゆる症状が、かわるがわる現れてくる。
中でももっとも、つらいのが、「理由も無いのに気分が滅入る」という症状。
これ、放置すると本格的にうつ病になるので、この症状があらわれると、会社を休んででも、神経科・心療内科の先生を訪ねることにしている。
こういったときは、決して無理せず坐禅も休むべきである。
しっかりと身体を休めて心を整え、機を養ったうえで健康をはやく取り戻して坐禅を再開すべきではないだろうか。
まあ、神経系の話ではなくて、関節など、古傷がウズくというような人は、世の中に五万といるだろうと思われる。
ところで昨日、夕方5:00くらいに会議室で打合せをしていると・・・
あれっ!?
なんだろう、左ヒザの皿の上部が、どこかにしたたか打ち付けたように痛む。
歩くと、さらに皿の上部が痛み、ちょっとガクガクする・・・。
思い返しても、カドにぶつけた記憶も無いし、激しいスポーツでヒザを使ったわけでもない。
やったといえば、朝の坐禅だけだけれど・・・
それはいつもの通りで、無理の無い範囲のこと。
なんで、急にワケもなくヒザの皿が痛いんだろう・・・。
それで、きのう行きつけの寿司屋でいっぱい飲みながら、カウンター常連のオッサンたちと話していたのだが・・・
「まあ、梅雨だからなぁ〜」
という、話にどうしても決着する。
理由を求めるならば、それが一番適当なのである。
ただ、考えられるということで言えば、もうひとつ・・・
「自分がヒザをぶつけた記憶が欠落しただけ」
という原因も否定できない。
でも、それが事実だとすれば、なんだかちょっと切ない気もする・・・。
人の「老い」って、そんなものか。
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曹洞宗の僧堂だと、だいたいどこの雲水さんもご愛用している、草履である。
そんな珍しいものでもないと思うのだが・・・
念のため、イメージのすり合わせができるように、イラストを描いてみた。

これが、ウォンテッドである。
ちなみに、きのうの夜は、法衣屋さんとか、仏具店のHPを探すのはやめて、業務用の草履やサンダルを扱うスリッパ業者のサイトを見回したが、やっぱり見つからなかった・・・。
それと、いつぞや名古屋市内にある、ある曹洞宗のお寺の住職さんが
「私はここで法衣や作務衣を買っている」
と言っていた法具店を思い出して、電話もしてみたのだが・・・
「ウチでは取り扱ってませんね・・・」
むむむ・・・
どこに売ってるんだろう???
引き続き、情報求む。
さて、きょうの本題。
きょうの本題は、生老病死「梅雨編」(その2)のような内容である。
梅雨どきというのは、湿気や気圧の変化で、身体のあちこちに異常をきたす人が多い。
私の場合は気圧の激しい変化で、自律神経系がまいってしまい、アタマがふわふわしたり、吐き気がしたり、睡眠のリズムが狂ったり、鈍い頭痛に悩まされたり・・・
あらゆる症状が、かわるがわる現れてくる。
中でももっとも、つらいのが、「理由も無いのに気分が滅入る」という症状。
これ、放置すると本格的にうつ病になるので、この症状があらわれると、会社を休んででも、神経科・心療内科の先生を訪ねることにしている。
こういったときは、決して無理せず坐禅も休むべきである。
しっかりと身体を休めて心を整え、機を養ったうえで健康をはやく取り戻して坐禅を再開すべきではないだろうか。
まあ、神経系の話ではなくて、関節など、古傷がウズくというような人は、世の中に五万といるだろうと思われる。
ところで昨日、夕方5:00くらいに会議室で打合せをしていると・・・
あれっ!?
なんだろう、左ヒザの皿の上部が、どこかにしたたか打ち付けたように痛む。
歩くと、さらに皿の上部が痛み、ちょっとガクガクする・・・。
思い返しても、カドにぶつけた記憶も無いし、激しいスポーツでヒザを使ったわけでもない。
やったといえば、朝の坐禅だけだけれど・・・
それはいつもの通りで、無理の無い範囲のこと。
なんで、急にワケもなくヒザの皿が痛いんだろう・・・。
それで、きのう行きつけの寿司屋でいっぱい飲みながら、カウンター常連のオッサンたちと話していたのだが・・・
「まあ、梅雨だからなぁ〜」
という、話にどうしても決着する。
理由を求めるならば、それが一番適当なのである。
ただ、考えられるということで言えば、もうひとつ・・・
「自分がヒザをぶつけた記憶が欠落しただけ」
という原因も否定できない。
でも、それが事実だとすれば、なんだかちょっと切ない気もする・・・。
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2009年07月02日
サマージャンボでサラリーマンは僧侶になれるか
まずは、みなさんへのお知らせから。
このブログ上でみなさんのお世話になっている(あぁ、あんまりお世話にもなっていないけど)私の弟弟子、貧乏作曲家・行雲真歩が、名古屋で始めて演奏会を開くこととなった。
いったい、彼はなぜ売れないのか、その秘密がいよいよ名古屋でも明らかになる。

以前から、東京では自分の作った曲を、ピアニストやバイオリニストを集めて演奏させるライブ活動を行っているが・・・あっ、生意気に韓国ソウル市などでも行ってきたが、名古屋は今回がはじめてである。
この際、みんなで彼の作った曲を生で聴き、どこがどうへたくそなのか、このブログ上で論じてやろうではないかと、画策している。
あ、言っておくが演奏するのは、プロのバイオリン弾き、チェロ弾き、ピアノ弾きの方々で、この人たちの演奏技術には、まったく何の心配もないのでご安心をいただけばよい。
問題は、行雲真歩が作った、メロディーそのものである。
そこで、今回先着2名の方に、この演奏会のペア招待券を差し上げたいと思うので、「よし、聴いてやろうじゃないの」という方は、zuirushinzanあっとまーくyahoo.co.jpまで、メールでどうぞ。
(席料500円は、別途かかりますけど)
ちなみに、チラシには「8月30日」とあるが、これは東京公演の日程で、名古屋での演奏会は、今週日曜日、7月5日である。

■日時 7月5日(日) 18:00開場 18:45開演
■場所 「パラダイスカフェ21」 (地下鉄東山線「今池駅」下車)
今池ガスビルの西隣り(広小路通ぞい)地下一階

こんな階段を下りたところである。
■備考(※チケットは2000円で、そのほか席料が500円かかります)
まあ、チケットは差し上げてもいいのだが、ただでさえ貧乏なので、できれば買ってやっていただけるとありがたく思う。
そんでもって、彼は今月20日に、また別の演奏会が名古屋であるらしく、きょうはそのリハーサルということで、きのうから私の家に居候している。
それで、きのうはたまたま私が公休日だったので、彼を連れてちょっと下見をしてきた。
音楽ホールの話ではない。
お寺である。
向かったのは、ちょっとこのサイトで触れた、臨済宗妙心寺派の専門道場「徳源寺」さんである。
このお寺は名古屋の東区にあり・・・ちょっとこういう書き方をすると怒られるかもしれないが、名古屋の老舗ストリップ劇場「ギンエイ」のすぐ近くだと言えば、
「ああ、あのあたりか・・・」
という方が多いのではないかと思う。
で、言ってみた。


ケータイで写真を撮ると、どうも水平がとりにくくていけないが、こんな山門が、街のど真ん中に現れる。
この門をくぐって、さらに入っていくと・・・
【碧巌録を提唱する道場なのだ!】という、その本気度合いが示されている。

これは、法堂だろうか・・・
通いなれた曹洞宗のお寺さんであると、だいたいその建物が、どういう役割の伽藍なのかがわかるものだが、臨済宗さんの場合、さっぱり分からない。

で、気になったのは、雲水が何人も集って修行する道場であるわけだから、誰かとすれ違ったり、あるいは我々のような怪しい侵入者を見つけて、
「なにか御用でも?」
と、お寺のお坊さんに聞かれるようなことがあっても、不思議はないのだが・・・
不思議なことに、まったく人のいる気配がしない。
どなたかがいらっしゃれば、ちょっと参禅会のことでも聞いてみるかと思い、庫裏らしき建物の玄関にいってみたが、ぜーんぜん人の気配がない。
そういえば、いつぞや、私の師匠からこんな話を聞いた。
ずいぶん昔の話だが、ある日、臨済宗のあるお寺に行ってみたところ・・・
「たのみましょーう!!」
と、申し出ても、まったく人の気配がしない。
仕方がないので、そのまま玄関に立ち尽くしていると、障子を一枚はさんだ向こう側の部屋から・・・
かちーん!!
という戒尺の音がした。
実は、障子一枚を隔てた向こう側の部屋では、雲水の食事が行われていたのだが・・・、
修行者たちは物音ひとつたてないどころか、まったく自分たちの気配を殺しきって食事をしていたのだというのだ。
おそるべし、臨済宗・・・。
で、きのうのこのお寺も、まったく人の気配がない。
ただ、食事の時間ではないので、どうしたものかと思っていたところ・・・

この道場、なかなかすごいところかもしれない。
毎週土曜日の18:00から一般の参禅者むけの坐禅会があるらしいので、近日中に参じる決意を、いよいよ固めた。
ちなみに、こちらのお寺には、仏殿があり・・・

中を拝見すると・・・

お釈迦様が涅槃を迎えられていた・・・。
ああ、長い前置きになってしまったが、ここからが本日の本題。
かくかくしかじかという事情で、購入したドリームジャンボ宝くじであるが・・・

その結果は、本日のタイトルが示すとおりである。
むむむ・・・。
次は、サマージャンボということになるが、何にどんな誓いを立てるべきか・・・。
ただいま、みなさんのアイデア募集中である。
あっ、いままで、出家ということに執着があったから・・・
今回は「出家の夢をあきらめます」ということにしたら、当たったりして・・・
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このブログ上でみなさんのお世話になっている(あぁ、あんまりお世話にもなっていないけど)私の弟弟子、貧乏作曲家・行雲真歩が、名古屋で始めて演奏会を開くこととなった。
いったい、彼はなぜ売れないのか、その秘密がいよいよ名古屋でも明らかになる。

以前から、東京では自分の作った曲を、ピアニストやバイオリニストを集めて演奏させるライブ活動を行っているが・・・あっ、生意気に韓国ソウル市などでも行ってきたが、名古屋は今回がはじめてである。
この際、みんなで彼の作った曲を生で聴き、どこがどうへたくそなのか、このブログ上で論じてやろうではないかと、画策している。
あ、言っておくが演奏するのは、プロのバイオリン弾き、チェロ弾き、ピアノ弾きの方々で、この人たちの演奏技術には、まったく何の心配もないのでご安心をいただけばよい。
問題は、行雲真歩が作った、メロディーそのものである。
そこで、今回先着2名の方に、この演奏会のペア招待券を差し上げたいと思うので、「よし、聴いてやろうじゃないの」という方は、zuirushinzanあっとまーくyahoo.co.jpまで、メールでどうぞ。
(席料500円は、別途かかりますけど)
ちなみに、チラシには「8月30日」とあるが、これは東京公演の日程で、名古屋での演奏会は、今週日曜日、7月5日である。

■日時 7月5日(日) 18:00開場 18:45開演
■場所 「パラダイスカフェ21」 (地下鉄東山線「今池駅」下車)
今池ガスビルの西隣り(広小路通ぞい)地下一階

こんな階段を下りたところである。
■備考(※チケットは2000円で、そのほか席料が500円かかります)
まあ、チケットは差し上げてもいいのだが、ただでさえ貧乏なので、できれば買ってやっていただけるとありがたく思う。
そんでもって、彼は今月20日に、また別の演奏会が名古屋であるらしく、きょうはそのリハーサルということで、きのうから私の家に居候している。
それで、きのうはたまたま私が公休日だったので、彼を連れてちょっと下見をしてきた。
音楽ホールの話ではない。
お寺である。
向かったのは、ちょっとこのサイトで触れた、臨済宗妙心寺派の専門道場「徳源寺」さんである。
このお寺は名古屋の東区にあり・・・ちょっとこういう書き方をすると怒られるかもしれないが、名古屋の老舗ストリップ劇場「ギンエイ」のすぐ近くだと言えば、
「ああ、あのあたりか・・・」
という方が多いのではないかと思う。
で、言ってみた。


ケータイで写真を撮ると、どうも水平がとりにくくていけないが、こんな山門が、街のど真ん中に現れる。
この門をくぐって、さらに入っていくと・・・
【碧巌録を提唱する道場なのだ!】という、その本気度合いが示されている。

これは、法堂だろうか・・・
通いなれた曹洞宗のお寺さんであると、だいたいその建物が、どういう役割の伽藍なのかがわかるものだが、臨済宗さんの場合、さっぱり分からない。

で、気になったのは、雲水が何人も集って修行する道場であるわけだから、誰かとすれ違ったり、あるいは我々のような怪しい侵入者を見つけて、
「なにか御用でも?」
と、お寺のお坊さんに聞かれるようなことがあっても、不思議はないのだが・・・
不思議なことに、まったく人のいる気配がしない。
どなたかがいらっしゃれば、ちょっと参禅会のことでも聞いてみるかと思い、庫裏らしき建物の玄関にいってみたが、ぜーんぜん人の気配がない。
そういえば、いつぞや、私の師匠からこんな話を聞いた。
ずいぶん昔の話だが、ある日、臨済宗のあるお寺に行ってみたところ・・・
「たのみましょーう!!」
と、申し出ても、まったく人の気配がしない。
仕方がないので、そのまま玄関に立ち尽くしていると、障子を一枚はさんだ向こう側の部屋から・・・
かちーん!!
という戒尺の音がした。
実は、障子一枚を隔てた向こう側の部屋では、雲水の食事が行われていたのだが・・・、
修行者たちは物音ひとつたてないどころか、まったく自分たちの気配を殺しきって食事をしていたのだというのだ。
おそるべし、臨済宗・・・。
で、きのうのこのお寺も、まったく人の気配がない。
ただ、食事の時間ではないので、どうしたものかと思っていたところ・・・

この道場、なかなかすごいところかもしれない。
毎週土曜日の18:00から一般の参禅者むけの坐禅会があるらしいので、近日中に参じる決意を、いよいよ固めた。
ちなみに、こちらのお寺には、仏殿があり・・・

中を拝見すると・・・

お釈迦様が涅槃を迎えられていた・・・。
ああ、長い前置きになってしまったが、ここからが本日の本題。
かくかくしかじかという事情で、購入したドリームジャンボ宝くじであるが・・・

その結果は、本日のタイトルが示すとおりである。
むむむ・・・。
次は、サマージャンボということになるが、何にどんな誓いを立てるべきか・・・。
ただいま、みなさんのアイデア募集中である。
あっ、いままで、出家ということに執着があったから・・・
今回は「出家の夢をあきらめます」ということにしたら、当たったりして・・・
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2009年07月01日
真山式「新しい四衆」
なんか、「真山式」というと「オギノ式」みたいだけれど、婦人科系の話ではない。
仏教の話である。
仏教の世界において『四衆(ししゅ)』とは・・・
比丘<男性のお坊さん>、比丘尼<女性のお坊さん・尼さんですね>、優婆塞(うばそく)<在家の男性修行者>、優婆夷(うばい)<在家の女性修行者>の四つを指すのだそうだ。
しかしまあ、21世紀のこの世で周りを見渡してみると、「新しい区分による四衆」というのが出現しているように思えて仕方が無い。
まず、在家の方からいうと、仏道修行者と仏教マニア。
まあ、どう呼んでもいいのだが、修行をする人と、単に興味のある人とでは、まったく質がちがう。
祖録をかじり、解説書を読み、有名な老師のところにちょっとだけ参禅することによって・・・
<分かったような気になっちゃったおめでたい人>
これを仏教マニアの中でも特に「禅マニア」と呼んだりする。
それでもって、癖が悪いことに・・・
このおめでたいマニア君は、まさか自分がマニアだとは思わず、「よく分別した修行者である」と思い込んでいる。
ただ、ある日、ハッと気付いて、仏道修行者になっていく人も多いのが救いである。
そして仏道を修行する者、我々でいえば禅の修行者ということになるが、こういった人は、ブレがない。
「そこ」というものの性質、「いま」というもののありようがよく見えているので、ブレようがない。
そして、少しでも自分の坐禅に疑問が生じた場合は、即刻師に参じて点検を行う。
したがって、自分の坐禅に対して、非常に謙虚である。
謙虚にならずにはいられない。
また、坐禅が熟していない場合にあっても真摯に禅を志す修行者は、「自分がまだまだ分かっていない」ということをよく分かっている。
ゆえに、やはり謙虚である。
これが在家の二衆ということになる。
次に出家の人に関していえば・・・
いうまでもなく、禅の修行者として出家なさったお坊さん。
こういったいわゆるホンモノのところには、「よいお坊さんおります」という看板がなくとも、自然に修行者があつまっている。
新潟の川上雪担老師のところに参じたときに、「ああ、そういうものか」と思ったものだ。
もう一つには、お寺を継ぐために出家した人。
いいとか、悪いとかの話をしたいのではない。
人は生まれついた家庭にある様々な事情で、家業を継がなければならない場合がある。
お寺もそれと同じで、檀家さんの位牌を守っていくということを、自分の修行と心得て、日々まい進されている方は、実に多いのではないかと思う。
また、聞くところによると、こういったお寺のご子息として生まれた方がなりゆきではなくて、本気の発心すると、とんでもなく熱心で親切で、坐禅に厳しいすばらしいお坊さんになる例がある。
実際に、弟弟子である貧乏作曲家・真歩は、そういったお坊さんに出会って、大きな感銘をうけたという。
ここまでは、いいのだけれど・・・
ただ、ごくまれに・・・
「血マナコの仏道修行大好き人間、入るべからず」として、
一方的に、参禅者を迷惑がったりする場合もある。
別に禅問答を挑みかかったりするわけじゃないんだけど・・・。
お寺という、ある種の公共性があるところには、さまざまな人がやってくるのであろうと思う。
その中には、先述のマニア君のような人もいれば、熱心な参禅者の姿もあるだろう。
それら全員が、礼節を守った出向き方をしているとは限らない。
ココは在家の側に反省点があるのは確か。
でも、十把ひとからげに在家を扱わず、ここはちょっとお坊さんにの方にも考えてほしいというのも正直なところ。
在家の信者は、熱心であればあるほど、こういう扱いをされると、実に切なく、悲しいんですよ・・・。
そんなことを、総持寺日曜参禅会の正会員である私は、感じていたりする・・・。

↓クリックのご協力をお願いします!!

この会員証、もうなんの意味もなさないモノになっちゃったのかなぁ。
世話人会が解散した後の日曜参禅会、どうなっていますかね、ご存知の方、御教えください。
仏教の話である。
仏教の世界において『四衆(ししゅ)』とは・・・
比丘<男性のお坊さん>、比丘尼<女性のお坊さん・尼さんですね>、優婆塞(うばそく)<在家の男性修行者>、優婆夷(うばい)<在家の女性修行者>の四つを指すのだそうだ。
しかしまあ、21世紀のこの世で周りを見渡してみると、「新しい区分による四衆」というのが出現しているように思えて仕方が無い。
まず、在家の方からいうと、仏道修行者と仏教マニア。
まあ、どう呼んでもいいのだが、修行をする人と、単に興味のある人とでは、まったく質がちがう。
祖録をかじり、解説書を読み、有名な老師のところにちょっとだけ参禅することによって・・・
<分かったような気になっちゃったおめでたい人>
これを仏教マニアの中でも特に「禅マニア」と呼んだりする。
それでもって、癖が悪いことに・・・
このおめでたいマニア君は、まさか自分がマニアだとは思わず、「よく分別した修行者である」と思い込んでいる。
ただ、ある日、ハッと気付いて、仏道修行者になっていく人も多いのが救いである。
そして仏道を修行する者、我々でいえば禅の修行者ということになるが、こういった人は、ブレがない。
「そこ」というものの性質、「いま」というもののありようがよく見えているので、ブレようがない。
そして、少しでも自分の坐禅に疑問が生じた場合は、即刻師に参じて点検を行う。
したがって、自分の坐禅に対して、非常に謙虚である。
謙虚にならずにはいられない。
また、坐禅が熟していない場合にあっても真摯に禅を志す修行者は、「自分がまだまだ分かっていない」ということをよく分かっている。
ゆえに、やはり謙虚である。
これが在家の二衆ということになる。
次に出家の人に関していえば・・・
いうまでもなく、禅の修行者として出家なさったお坊さん。
こういったいわゆるホンモノのところには、「よいお坊さんおります」という看板がなくとも、自然に修行者があつまっている。
新潟の川上雪担老師のところに参じたときに、「ああ、そういうものか」と思ったものだ。
もう一つには、お寺を継ぐために出家した人。
いいとか、悪いとかの話をしたいのではない。
人は生まれついた家庭にある様々な事情で、家業を継がなければならない場合がある。
お寺もそれと同じで、檀家さんの位牌を守っていくということを、自分の修行と心得て、日々まい進されている方は、実に多いのではないかと思う。
また、聞くところによると、こういったお寺のご子息として生まれた方がなりゆきではなくて、本気の発心すると、とんでもなく熱心で親切で、坐禅に厳しいすばらしいお坊さんになる例がある。
実際に、弟弟子である貧乏作曲家・真歩は、そういったお坊さんに出会って、大きな感銘をうけたという。
ここまでは、いいのだけれど・・・
ただ、ごくまれに・・・
「血マナコの仏道修行大好き人間、入るべからず」として、
一方的に、参禅者を迷惑がったりする場合もある。
別に禅問答を挑みかかったりするわけじゃないんだけど・・・。
お寺という、ある種の公共性があるところには、さまざまな人がやってくるのであろうと思う。
その中には、先述のマニア君のような人もいれば、熱心な参禅者の姿もあるだろう。
それら全員が、礼節を守った出向き方をしているとは限らない。
ココは在家の側に反省点があるのは確か。
でも、十把ひとからげに在家を扱わず、ここはちょっとお坊さんにの方にも考えてほしいというのも正直なところ。
在家の信者は、熱心であればあるほど、こういう扱いをされると、実に切なく、悲しいんですよ・・・。
そんなことを、総持寺日曜参禅会の正会員である私は、感じていたりする・・・。

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2009年06月30日
きょうの生老病死「梅雨編」
きょうの生老病死といっても、そんな大そうな生老病死ではない。
本日のネタは、水虫対策である。
「どこが生老病死だ!」と、つっこみたくなるであろうが、りっぱな「病」である。
この時期に油断すると、足の指と指の間に出てくるのが、水虫。
そうは言っても、白せん菌の野郎ドモは、昨シーズンまでに駆逐しており、長時間にわたり通気性の悪い靴を履きっぱなしたりしなければ、水虫は顔をださない。
それで、会社に来るなりわたしは畳サンダルに履き替えて1日を過ごすのだが…

しかし、この畳サンダル、底敷のイグサに靴下がすべてしまうという悩みがある。
とはいえ、さすがに靴下まではオフィスでぬげない
それでサンダル自体を替えようと考えて、イボイボのついた健康サンダルにしようかとも思ったのだが・・・
一番機能的で、しかも静かに歩けるというところを突き詰めていったところ、
どうやら単草履を、直堂さんがそうするように、親指と小指をひっかけるようにして歩くのがよい、というところにたどり着いた。
軍足式の5本指靴下を履くことになるのだが、それもまた水虫対策という意味では効果が期待できる。
で、ネットで単草履を通販してくれる仏具屋さんをさがしてみたのだが・・・
う〜ん、見つけられない!
発見した方は、どうかご連絡いただきたく、お願いをしたい。
(お坊さんに聞いたほうが、早いかもしれないけど・・・)
余談だが・・・
ネット通販といえば、きのうメグテキさんから、こんなTシャツの販売サイトを紹介してもらった。
http://www.we2ya.jp/
なかなか、カッチョ良くて、思わず二枚も発注してしまった。
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本日のネタは、水虫対策である。
「どこが生老病死だ!」と、つっこみたくなるであろうが、りっぱな「病」である。
この時期に油断すると、足の指と指の間に出てくるのが、水虫。
そうは言っても、白せん菌の野郎ドモは、昨シーズンまでに駆逐しており、長時間にわたり通気性の悪い靴を履きっぱなしたりしなければ、水虫は顔をださない。
それで、会社に来るなりわたしは畳サンダルに履き替えて1日を過ごすのだが…

しかし、この畳サンダル、底敷のイグサに靴下がすべてしまうという悩みがある。
とはいえ、さすがに靴下まではオフィスでぬげない
それでサンダル自体を替えようと考えて、イボイボのついた健康サンダルにしようかとも思ったのだが・・・
一番機能的で、しかも静かに歩けるというところを突き詰めていったところ、
どうやら単草履を、直堂さんがそうするように、親指と小指をひっかけるようにして歩くのがよい、というところにたどり着いた。
軍足式の5本指靴下を履くことになるのだが、それもまた水虫対策という意味では効果が期待できる。
で、ネットで単草履を通販してくれる仏具屋さんをさがしてみたのだが・・・
う〜ん、見つけられない!
発見した方は、どうかご連絡いただきたく、お願いをしたい。
(お坊さんに聞いたほうが、早いかもしれないけど・・・)
余談だが・・・
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2009年06月29日
南嶽磨磚について考える
今朝5:00の名古屋は、さわやかな風が吹き、窓をあけて坐禅をしていると、じつに心地がよい。
60分間の止静は、とても清清しかった。
さて、きのうの夜、ずいぶん昔に誰かからもらった、禅の入門書を、何気なく手に取った。
そしてパラパラと開いていると、【南嶽磨磚】の解説文にぶちあたった。
お釈迦様からずっと一人ひとりに受け継がれてきた禅の系譜は、六祖慧能禅師のお弟子さんから、二つの系譜に分かれる。
うち一人が青原行思禅師で、こっちが曹洞宗へとつながっていき、一方もうひとりのお弟子というのが南嶽懐譲禅師。
南嶽懐譲禅師のお弟子の系譜が臨済宗系へと発展していく。
この南嶽懐譲禅師のお弟子が馬祖道一。
解説書には、こうある。
馬祖道一は、毎日坐禅ばかりをしている。
そこに通りかかったお師匠さんである南嶽懐譲。
「おい、お前は坐禅ばかりして何を求めているのだ」
それに対して、馬祖はこう応える。
「仏になろうとしているのです」
すると南嶽は、落ちていた磚(かわら=瓦)を拾って、磨き始めた。
「お師匠様、何をしているのでしょうか??」
「瓦を磨いて、鏡にしようとおもってのぉ〜」
「瓦を磨いても、鏡にはなりませんよ・・・」
「そんじゃ聞くけど、坐禅をすれば仏になれるのか?」
私は、『坐禅をすると、サラリーマンでも仏になれるかもしれない・・・』
そんな風に思って、坐禅を始めた。
しかしながら、実のところは「即サラリーマン是仏」である。
ただ、よく周りを見渡してみると、「坐禅せよ」という指導者ばかりである。
では、なんで坐禅をするのか、ということを思わずにはいられない。
なんでだろう。
私はなぜ、毎朝はやく起きて坐禅をしているのか。
単純に言ってしまえば、「気持ちいいから」。
そこに尽きてしまうのだが・・・
せっかく書き始めたのだから、もうちょっと掘り下げてみると、こんなことを思う。
只管打坐にあっては、「思い」や「妄想」の入るスキがない。
よく坐禅中に「雑念が湧き上がる」といったことを言われるが、そもそも雑念というものすらない。
浮かび上がる「思い」というものも、ある意味では自分のあり方である。
ただ、「それ」が、「思い・妄想」なのか「諸法の実相」なのか、そこは、まさに行じている坐禅によって、よく分別が可能である。
また、こんなことも言えようか。
坐禅には真実以外が入り込めない。
入れ込もうとしても不可能であり、入れ込んだとたんに「自分が入れ込んだ」ということを、即座に自分自身が見抜いてしまう。
自分の坐禅によって、その事実を見抜かされてしまう、といった方がニュアンスが合っているのかもしれない。
そこが、坐禅の凄まじいところであるのではないか。
そんな風に思えて仕方がないのである。
自己を習うには、自己以外の何者も入るスキのない坐禅が、もっとも“効果的”なのであり、自己以外の何者も入り込む余地がないからこそ、自己を習うことが可能になるのではないだろうか。
あえて話をややこしくしておくと、そもそも私が生きている「法の場所」は、私にしか生きられないのだから、坐禅をしていようが、そうでなかろうが、自分以外の誰かが入り込むことなんて、無理なんだけど・・・。
あ〜、また理屈っぽいこと書いたと、真歩にののしられそうだが・・・。
ところで、この【南学磨磚】だが・・・
これ、指導者である南嶽懐譲が優れているのか、弟子である馬祖道一が優れているのか、どっちかよくわからない。
瓦を拾って磨いている、そのしぐさを見て、弟子が・・・
「お師匠様、何をしているんですか?」
という、質問をしなければ、師匠の方は
「鏡にしようと思っているのじゃ」
とは返せない。返答することができない。
要するに「何をしているのですか?」と聞かれなければ、南嶽懐譲は単なる瓦磨きのオッサンである。
仮に私のお師匠さんが瓦を磨いていたら、どうだろう。
「老師は何やってんだろう・・・」
と思うばかりで、質問したかどうか、微妙である。
私のような阿呆な弟子をもつと、指導してやろうとしても出来ないのである。
懐譲さん、よかったなぁ、馬祖さんがいい弟子で。
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60分間の止静は、とても清清しかった。
さて、きのうの夜、ずいぶん昔に誰かからもらった、禅の入門書を、何気なく手に取った。
そしてパラパラと開いていると、【南嶽磨磚】の解説文にぶちあたった。
お釈迦様からずっと一人ひとりに受け継がれてきた禅の系譜は、六祖慧能禅師のお弟子さんから、二つの系譜に分かれる。
うち一人が青原行思禅師で、こっちが曹洞宗へとつながっていき、一方もうひとりのお弟子というのが南嶽懐譲禅師。
南嶽懐譲禅師のお弟子の系譜が臨済宗系へと発展していく。
この南嶽懐譲禅師のお弟子が馬祖道一。
解説書には、こうある。
馬祖道一は、毎日坐禅ばかりをしている。
そこに通りかかったお師匠さんである南嶽懐譲。
「おい、お前は坐禅ばかりして何を求めているのだ」
それに対して、馬祖はこう応える。
「仏になろうとしているのです」
すると南嶽は、落ちていた磚(かわら=瓦)を拾って、磨き始めた。
「お師匠様、何をしているのでしょうか??」
「瓦を磨いて、鏡にしようとおもってのぉ〜」
「瓦を磨いても、鏡にはなりませんよ・・・」
「そんじゃ聞くけど、坐禅をすれば仏になれるのか?」
私は、『坐禅をすると、サラリーマンでも仏になれるかもしれない・・・』
そんな風に思って、坐禅を始めた。
しかしながら、実のところは「即サラリーマン是仏」である。
ただ、よく周りを見渡してみると、「坐禅せよ」という指導者ばかりである。
では、なんで坐禅をするのか、ということを思わずにはいられない。
なんでだろう。
私はなぜ、毎朝はやく起きて坐禅をしているのか。
単純に言ってしまえば、「気持ちいいから」。
そこに尽きてしまうのだが・・・
せっかく書き始めたのだから、もうちょっと掘り下げてみると、こんなことを思う。
只管打坐にあっては、「思い」や「妄想」の入るスキがない。
よく坐禅中に「雑念が湧き上がる」といったことを言われるが、そもそも雑念というものすらない。
浮かび上がる「思い」というものも、ある意味では自分のあり方である。
ただ、「それ」が、「思い・妄想」なのか「諸法の実相」なのか、そこは、まさに行じている坐禅によって、よく分別が可能である。
また、こんなことも言えようか。
坐禅には真実以外が入り込めない。
入れ込もうとしても不可能であり、入れ込んだとたんに「自分が入れ込んだ」ということを、即座に自分自身が見抜いてしまう。
自分の坐禅によって、その事実を見抜かされてしまう、といった方がニュアンスが合っているのかもしれない。
そこが、坐禅の凄まじいところであるのではないか。
そんな風に思えて仕方がないのである。
自己を習うには、自己以外の何者も入るスキのない坐禅が、もっとも“効果的”なのであり、自己以外の何者も入り込む余地がないからこそ、自己を習うことが可能になるのではないだろうか。
あえて話をややこしくしておくと、そもそも私が生きている「法の場所」は、私にしか生きられないのだから、坐禅をしていようが、そうでなかろうが、自分以外の誰かが入り込むことなんて、無理なんだけど・・・。
あ〜、また理屈っぽいこと書いたと、真歩にののしられそうだが・・・。
ところで、この【南学磨磚】だが・・・
これ、指導者である南嶽懐譲が優れているのか、弟子である馬祖道一が優れているのか、どっちかよくわからない。
瓦を拾って磨いている、そのしぐさを見て、弟子が・・・
「お師匠様、何をしているんですか?」
という、質問をしなければ、師匠の方は
「鏡にしようと思っているのじゃ」
とは返せない。返答することができない。
要するに「何をしているのですか?」と聞かれなければ、南嶽懐譲は単なる瓦磨きのオッサンである。
仮に私のお師匠さんが瓦を磨いていたら、どうだろう。
「老師は何やってんだろう・・・」
と思うばかりで、質問したかどうか、微妙である。
私のような阿呆な弟子をもつと、指導してやろうとしても出来ないのである。
懐譲さん、よかったなぁ、馬祖さんがいい弟子で。
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2009年06月28日
で、日泰寺に行ってみた
まずは現在、私の手元に舞い込んでいる、全国の(ってちょっとオーバーだけど)参禅会情報から。
■東京 泉岳寺『学寮公開講座』

写真をクリックすると拡大しますので、くわしく見たい方はどうぞ。
ちなみに、貧乏作曲家は『三論玄義』の講義を聴きながら、心地よく眠っておられた。
私的には泉岳寺のご住職さまの『永平公録』の提唱を拝聴する機会を得たいと思っている。
また、泉岳寺では毎週火曜日の夕方に参禅会があって、そこでは河村孝道老師の『正法眼蔵』の提唱が行われていた。
この間までは確か、『洗浄』巻だったはず・・・。
■静岡県小山町 不二寺(桐ヶ谷寺富士禅道場)

こちらは、東京都品川区の桐ヶ谷寺さんが、富士山の裾野にある別院『不二寺』で行う、一泊参禅会。
8月21日12:00からということ。
提唱を担当されるのは、大本山総持寺国際部の藤田一照老師。
東京大学の出身で、『正法眼蔵』を英訳するとどうなるか、といった観点から提唱をなさり、英語の弱い我々でも、興味深く拝聴できる。
参加費用は一万円。
私は仕事の都合でいけないけれど、都合さえつけば参じたい、貴重な一泊参禅会。
■愛知学院大学

地元自治体の広報誌に掲載されているのを、カミさんが発見。
愛知学院大学は立派な禅堂を持っているいとのことで、一度参じたいと思っていたが、一般に公開された坐禅会は平日の夕方で、なかなかうかがう機会を得られなかった。
今回は土曜日なので、明日の月曜日にでも申込む予定。
さて、ココからが本日の本題。
きのう、日泰寺専門僧堂に電話を差し上げて、朝からいてもたってもいられなくなり、アポイントもないまま、覚王山に向かった。
地下鉄東山線の「覚王山駅」で下車して、参道を歩く道すがら、きのう電話でご丁寧に対応くださった役寮さんに、再び電話した。
「来ちゃった・・・ミ☆」
彼女が彼氏に電話するのなら、そんな感じなんだろうけど、そうは行かない。
お約束もなく、すみませんが、もし和尚様にお時間があるようでしたら、少しだけご挨拶させていただきたいとおもいまして、現在覚王山の駅を降りましたが・・・
と、申し上げると、
10分ほどなら大丈夫ということで、お会いくださることになった。
さて、コチラが覚王山日泰寺。

タイ王国から仏舎利の寄贈をうけ建立された、日タイ友好の架け橋となる、大きなお寺である。
法堂をのぞいてみると・・・

お釈迦さんの前に、タイ語の文字が見える。
さらに、五重塔もある。

で、専門僧堂は、これらの伽藍の裏手になっており、なかなか分かりづらい。
ぐるっとまわって、やっと見つけた。

庫裏の玄関からお邪魔すると、件の役寮さんがお出ましになった。
で、私は・・・
きのうお電話で、決まった参禅会などはないとお聞きしたのですが、伊豆にいる師匠のお寺以外に参禅先もないのが現状でございまして・・・
いろいろと考えたすえ、日曜日の暁天坐禅にうかがうことは出来ないものかと、無理を申し上げにきました。
と、切り出した。
すると・・・
「私の一存では決められませんが、熱心な方に来ていただくのはうれしいことに違いありません。すこし検討しまして、またお電話を差し上げます」
と、おっしゃられたので、お会いいただいたことの御礼を申し上げて、その場を去った。
そのあと、しばらくして、この役寮さんから電話があり、
「どうぞ、日曜日にいらっしゃってください」
というお話をいただいた。
これであとには引けない。
来週の日曜日からは、朝3:40に起きて、4:10出発である。
私からは、はっきりとは言わなかったのだが、コチラの坐禅に無作法がないということで認めていただければ、今後は仕事が無い限り・・・
毎週日曜日は、レギュラーで早朝に参じたいというお願いをするつもりである。
ところで、ふっと思い出したのだが・・・
実は次の日曜日はたまたま、貧乏作曲家が名古屋で演奏会をやることになっている。
どうせヒマだろうから、前日からウチに泊まらせて、ヤツも連れて行ってやろうか。
ああ、またヤツから感謝されてしまうなぁ〜。
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■東京 泉岳寺『学寮公開講座』

写真をクリックすると拡大しますので、くわしく見たい方はどうぞ。
ちなみに、貧乏作曲家は『三論玄義』の講義を聴きながら、心地よく眠っておられた。
私的には泉岳寺のご住職さまの『永平公録』の提唱を拝聴する機会を得たいと思っている。
また、泉岳寺では毎週火曜日の夕方に参禅会があって、そこでは河村孝道老師の『正法眼蔵』の提唱が行われていた。
この間までは確か、『洗浄』巻だったはず・・・。
■静岡県小山町 不二寺(桐ヶ谷寺富士禅道場)

こちらは、東京都品川区の桐ヶ谷寺さんが、富士山の裾野にある別院『不二寺』で行う、一泊参禅会。
8月21日12:00からということ。
提唱を担当されるのは、大本山総持寺国際部の藤田一照老師。
東京大学の出身で、『正法眼蔵』を英訳するとどうなるか、といった観点から提唱をなさり、英語の弱い我々でも、興味深く拝聴できる。
参加費用は一万円。
私は仕事の都合でいけないけれど、都合さえつけば参じたい、貴重な一泊参禅会。
■愛知学院大学

地元自治体の広報誌に掲載されているのを、カミさんが発見。
愛知学院大学は立派な禅堂を持っているいとのことで、一度参じたいと思っていたが、一般に公開された坐禅会は平日の夕方で、なかなかうかがう機会を得られなかった。
今回は土曜日なので、明日の月曜日にでも申込む予定。
さて、ココからが本日の本題。
きのう、日泰寺専門僧堂に電話を差し上げて、朝からいてもたってもいられなくなり、アポイントもないまま、覚王山に向かった。
地下鉄東山線の「覚王山駅」で下車して、参道を歩く道すがら、きのう電話でご丁寧に対応くださった役寮さんに、再び電話した。
「来ちゃった・・・ミ☆」
彼女が彼氏に電話するのなら、そんな感じなんだろうけど、そうは行かない。
お約束もなく、すみませんが、もし和尚様にお時間があるようでしたら、少しだけご挨拶させていただきたいとおもいまして、現在覚王山の駅を降りましたが・・・
と、申し上げると、
10分ほどなら大丈夫ということで、お会いくださることになった。
さて、コチラが覚王山日泰寺。

タイ王国から仏舎利の寄贈をうけ建立された、日タイ友好の架け橋となる、大きなお寺である。
法堂をのぞいてみると・・・

お釈迦さんの前に、タイ語の文字が見える。
さらに、五重塔もある。

で、専門僧堂は、これらの伽藍の裏手になっており、なかなか分かりづらい。
ぐるっとまわって、やっと見つけた。

庫裏の玄関からお邪魔すると、件の役寮さんがお出ましになった。
で、私は・・・
きのうお電話で、決まった参禅会などはないとお聞きしたのですが、伊豆にいる師匠のお寺以外に参禅先もないのが現状でございまして・・・
いろいろと考えたすえ、日曜日の暁天坐禅にうかがうことは出来ないものかと、無理を申し上げにきました。
と、切り出した。
すると・・・
「私の一存では決められませんが、熱心な方に来ていただくのはうれしいことに違いありません。すこし検討しまして、またお電話を差し上げます」
と、おっしゃられたので、お会いいただいたことの御礼を申し上げて、その場を去った。
そのあと、しばらくして、この役寮さんから電話があり、
「どうぞ、日曜日にいらっしゃってください」
というお話をいただいた。
これであとには引けない。
来週の日曜日からは、朝3:40に起きて、4:10出発である。
私からは、はっきりとは言わなかったのだが、コチラの坐禅に無作法がないということで認めていただければ、今後は仕事が無い限り・・・
毎週日曜日は、レギュラーで早朝に参じたいというお願いをするつもりである。
ところで、ふっと思い出したのだが・・・
実は次の日曜日はたまたま、貧乏作曲家が名古屋で演奏会をやることになっている。
どうせヒマだろうから、前日からウチに泊まらせて、ヤツも連れて行ってやろうか。
ああ、またヤツから感謝されてしまうなぁ〜。
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2009年06月27日
いろいろあります、名古屋の専門僧堂
名古屋には、曹洞宗の専門僧堂がある。
厳密にいうと「違う」という指摘もあるかもしれないが、仮に「安居歴」がつくところ、という言う意味では、三つということになるだろうか。
ひとつは、永平寺名古屋別院。
これは、私の想像だけれどもおそらく、名古屋別院の雲水さんは福井県の大本山から派遣されているわけであって、名古屋別院への安居を希望してできるものではないのだろうと思う。
そして次は、愛知尼僧堂。
現在の堂長さんは青山老師で、この方は多くの講演会やマスコミなどに登場する機会もあるので、この尼僧堂の存在をご存じの方はおおいのではないだろうか。
参禅会や摂心は男性も参加できるという話をきいた。
あ、そうだ。
ここの参禅会や摂心の様子をこのブログでリポートすると言ったまま、放置しているなぁ・・・。
もう二〜三年も前のことだが、夏場の摂心は、修行中の尼さんたちはお風呂に入らずに坐禅をするため、禅堂の中は相当匂いがきつい、という話を何人から聞いた。
真偽のほどは知らないけど・・・。
で、ここまではみなさんも考えが及ぶと思うのだが、
残るもう一つの専門僧堂はどこかというと・・・
あっ、そういえば臨済宗を入れると、もうひとつあるなぁ。
ただ、臨済宗の場合「専門僧堂」ではなくて、「専門道場」というのが一般的らしいけど。
それは名古屋市東区にある、
妙心寺派専門道場「徳源寺」。
HPは存在しているのだが、どこを見ても住所が書かれていない。
参禅会はあるようである。
■毎週土曜日 18:00
■毎週月曜日 5:00
毎週土曜日に参禅会があるなら、きょう行けばよかったなぁ。
もう一つは朝5:00か。明後日、さっそく朝早く起きていってみるかなぁ・・・。
で、曹洞宗の「専門僧堂」ということでいうと、残るもう一つは・・・
覚王山日泰寺 専門僧堂である。
きょう、ようやくHPを発見した。

参禅会の案内などは、どこにもないのであるが・・・
↓このページの一番したの行に、
http://www.ntjsd.com/topics/index3.html
「参禅会、写経の指導」と小さく書かれているので、「これは・・・」と思い、さっそく電話した。
まず、組織的に頭の中を整理しておかなければならないのだが、
覚王山日泰寺=日泰寺専門僧堂ではない。
ややこしいのだけれども、日泰寺は八宗兼学の、いわゆる超宗派的というか、単立というべきか分からないけど、そんな大寺院である。
で、このお寺の、僧堂の部分が曹洞宗の直営というと怒られるかも知れないけれど、まあ、そういうようなことになっているのである。
大伽藍を配した大きな寺院の一角に、曹洞宗の専門僧堂としてあり、いわば大寺院「日泰寺」からは、独立した別組織だと認識してしまうほうが話は早そうである。
だから、日泰寺の代表電話にかけても、専門僧堂で参禅会があるのかどうかなど、ちんぷんかんぷんであるのだ。
そんな状況なので、日泰寺ではなくて日泰寺専門僧堂の電話番号を調べてみると、
052−751−0214であることがわかり・・・
「すみません、一般の在家のモノなんですけど・・・参禅会は行われているのでしょうか・・・」
と、問うたところ、お電話口の役寮さんが丁寧にご対応くださった。
整理すると、
基本的に曜日や日にち決めた定期的な参禅会は行われていない。
しかし、希望があれば電話などで連絡をすれば、都合をつけられる限り、坐禅の指導は行いたいと思う。
ということである。
また、「暁天坐禅についてはどうでしょうか」という私の問いに対しては、
「いままで、前例がございません。ただ、私どもの僧堂は決して排他的なものではありません。熱心な方がきてくださるのであれば、堂長老師の許しを得ますので、ご連絡をください」
ということであった。
ちなにみに、暁天は4:30から。
こうやって、電話で聞いたうえ、かくも丁寧なご対応をいただいた以上は、参ずるべきだよなぁ・・・。
ということで宿題は・・・
■尼僧堂の参禅会リポート
■徳源寺の参禅会リポート
■日泰寺専門僧堂リポート
以上の三本、請うご期待・・・って、本気で行かなきゃなぁ。
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厳密にいうと「違う」という指摘もあるかもしれないが、仮に「安居歴」がつくところ、という言う意味では、三つということになるだろうか。
ひとつは、永平寺名古屋別院。
これは、私の想像だけれどもおそらく、名古屋別院の雲水さんは福井県の大本山から派遣されているわけであって、名古屋別院への安居を希望してできるものではないのだろうと思う。
そして次は、愛知尼僧堂。
現在の堂長さんは青山老師で、この方は多くの講演会やマスコミなどに登場する機会もあるので、この尼僧堂の存在をご存じの方はおおいのではないだろうか。
参禅会や摂心は男性も参加できるという話をきいた。
あ、そうだ。
ここの参禅会や摂心の様子をこのブログでリポートすると言ったまま、放置しているなぁ・・・。
もう二〜三年も前のことだが、夏場の摂心は、修行中の尼さんたちはお風呂に入らずに坐禅をするため、禅堂の中は相当匂いがきつい、という話を何人から聞いた。
真偽のほどは知らないけど・・・。
で、ここまではみなさんも考えが及ぶと思うのだが、
残るもう一つの専門僧堂はどこかというと・・・
あっ、そういえば臨済宗を入れると、もうひとつあるなぁ。
ただ、臨済宗の場合「専門僧堂」ではなくて、「専門道場」というのが一般的らしいけど。
それは名古屋市東区にある、
妙心寺派専門道場「徳源寺」。
HPは存在しているのだが、どこを見ても住所が書かれていない。
参禅会はあるようである。
■毎週土曜日 18:00
■毎週月曜日 5:00
毎週土曜日に参禅会があるなら、きょう行けばよかったなぁ。
もう一つは朝5:00か。明後日、さっそく朝早く起きていってみるかなぁ・・・。
で、曹洞宗の「専門僧堂」ということでいうと、残るもう一つは・・・
覚王山日泰寺 専門僧堂である。
きょう、ようやくHPを発見した。

参禅会の案内などは、どこにもないのであるが・・・
↓このページの一番したの行に、
http://www.ntjsd.com/topics/index3.html
「参禅会、写経の指導」と小さく書かれているので、「これは・・・」と思い、さっそく電話した。
まず、組織的に頭の中を整理しておかなければならないのだが、
覚王山日泰寺=日泰寺専門僧堂ではない。
ややこしいのだけれども、日泰寺は八宗兼学の、いわゆる超宗派的というか、単立というべきか分からないけど、そんな大寺院である。
で、このお寺の、僧堂の部分が曹洞宗の直営というと怒られるかも知れないけれど、まあ、そういうようなことになっているのである。
大伽藍を配した大きな寺院の一角に、曹洞宗の専門僧堂としてあり、いわば大寺院「日泰寺」からは、独立した別組織だと認識してしまうほうが話は早そうである。
だから、日泰寺の代表電話にかけても、専門僧堂で参禅会があるのかどうかなど、ちんぷんかんぷんであるのだ。
そんな状況なので、日泰寺ではなくて日泰寺専門僧堂の電話番号を調べてみると、
052−751−0214であることがわかり・・・
「すみません、一般の在家のモノなんですけど・・・参禅会は行われているのでしょうか・・・」
と、問うたところ、お電話口の役寮さんが丁寧にご対応くださった。
整理すると、
基本的に曜日や日にち決めた定期的な参禅会は行われていない。
しかし、希望があれば電話などで連絡をすれば、都合をつけられる限り、坐禅の指導は行いたいと思う。
ということである。
また、「暁天坐禅についてはどうでしょうか」という私の問いに対しては、
「いままで、前例がございません。ただ、私どもの僧堂は決して排他的なものではありません。熱心な方がきてくださるのであれば、堂長老師の許しを得ますので、ご連絡をください」
ということであった。
ちなにみに、暁天は4:30から。
こうやって、電話で聞いたうえ、かくも丁寧なご対応をいただいた以上は、参ずるべきだよなぁ・・・。
ということで宿題は・・・
■尼僧堂の参禅会リポート
■徳源寺の参禅会リポート
■日泰寺専門僧堂リポート
以上の三本、請うご期待・・・って、本気で行かなきゃなぁ。
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